BLMに思うこと

2020年5月25日にジョージフロイドさんが亡くなった。それから3週間、ネットでは多くの衝撃映像や、いろんな立場の人の議論が流れてきた。私自身もいろいろ考えた。それを今日は言葉にしてみようと思います。

先に見出しを。

①私はBLMを支持・表明します
②ALL lives matterをかぶせることの害悪
③アジア人だってコロナで差別された!はここでは違う
④デモはもっと平和的にやれ!も論点そこじゃない
⑤白人でも黒人でもアメリカ人でもない人たちがゲームチェンジャーになる
⑥BLM表明のその先
⑦ルワンダとBLM

①私は #Blacklivesmatter を表明します

アメリカにおいてアフリカ系アメリカ人の方々は長い間構造的差別を受けており、そしてその差別は不当だと思う。

その構造の詳細については、例えばNetflix の「米国憲法修正第13条」がすごく参考になる。(https://www.netflix.com/title/80091741

奴隷制は廃止されたものの、南北戦争で経済が破綻している状態で、そこにいる大量の元奴隷を前に、安い大量の労働力が必要な企業とそこから利益を得ている政治家が結託して作り上げた、恐ろしいシステムが描かれている。そこで利用されたのが米国憲法修正第13条。奴隷制は廃止する、ただし犯罪者を除く、という一言が抜け穴となってしまい、「犯罪者には人権ないよね」という前提のもと、悪いことをしていないのに犯罪者にされ人権を剥奪されたアフリカ系アメリカ人がたくさんいた。それにとどまらず、大統領選挙などの度に、アフリカ系アメリカ人は恐怖心を煽るための民衆の「共通の敵」として利用されてきた。観ていてかなり辛いですが、ぜひ観てください。

ちなみにここで「差別はない」って言い出す人も、開いた口が塞がらないけど実際いて、そういう人たちとの議論はだいぶしんどくなる。

② #All Lives Matter をかぶせることの害悪

時々聞くこの言葉、めちゃくちゃ違和感ある。そんなもん、みんなの命が大切に決まってる。なのに、アフリカンアメリカンの命が大切にされていないからBlack Lives Matterというフレーズが使われているという本質が見えてない。個人的には「黒人の命も大切」よりも、「黒人だって人間だ」の方が近いと思う。そのくらい、人として見られてない。ある人種の人たちが、私たちだって人間なんだよ!!って叫ばないといけない21世紀。人間って本当に悲しい。そこにドヤ顔で「みんな人間だよ!」と言う理由が分からない。All lives matterかぶせるのはやめましょう。

(「黒人」と言う言葉自体あまり適切ではないと思いますが、ここでは原文の”Black”に即して使っています)

全部の家が大切だけど、今消化が必要なのは全部じゃないよね?と言う例え

このAll lives matterを言い出すのって結構厄介で、今こそすべての差別と戦おう!とか、本質濁るからせめて今はやめようよ、、と思う。コロナでアジア人も差別された!とか、女性はずっと差別されてきている!とか、それぞれ違うから今は国で不当な扱いを受けているアフリカンアメリカンの方に寄り添うことに集中したい。

ちなみに私は女性は差別されていて、それは不当だと長い間思ってきたし、どんなに頑張っても勝てない構造なのに「努力不足」「自己責任」と言い放って通り過ぎていかれる悔しさが分かるので、今回の件も素通りしたくないと思ってる。構造として共通するものもあるので、引き合いに出したくなる気持ちもあるけど、これでもたらされた変化は、女性差別にも必ずプラスに働くはずなので、今はBLMの時なのだと思います。

③アジア人だってコロナで差別された!はここでは違う

今回のアフリカ系アメリカン人の方々は、肌の色が違うというだけで、自国で、例えば昇進できない、正当に評価されづらい、というだけでも憤りは如何程かと思うけど、それどころか日常生活で自分に真っ先に嫌疑がかかる、命の危険すら生じる、という中で暮らす恐怖は想像を絶する。

繰り返しますが、BLMをめぐる差別は、自国での、社会的・経済的・司法的な構造的な差別であって、奴隷として、人権なく無理やり連れてこられたバックグラウンドを持つ人たちの話。「私だってヨーロッパでアジア人ってだけでコロナって言われたし!」とか、「アフリカで道歩いてるとチャイナ!チャイナ!っていっつも言われるし!」みたいなのとは全然違う話。もちろんこれらについて、実害少ないから黙ってろという話はしていません。とにかく、今は本当に議論すべき点からブレずにいよう、と思う。

④デモはもっと平和的にやれ!も論点そこじゃない

暴力なんてダメです。当たり前です。ただ、BLMの問題について話している時に、「抗議に暴力を用いるのはダメ」ってところに論点持って行きたがるのは違うと思う。「暴力はやめて!」と叫ぶ妻に「叫んだりせずに、落ち着いて話してくれればやめるのに」って言ってるDV夫と構造が同じ。論点そこじゃない。ちなみにこれは「トーンポリシング」という名称があることを今回の件で知りました。確かにそりゃ名前つくほど本当によく見かける論理破綻の一種。

平和的抗議で知られるキング牧師が、とあるデモに子どもと参加した時は「子どもを巻き込む抗議行動なんて」と批判されたし、南アフリカでアパルトヘイトへの抗議ウォークが起きたとき、「マーチングなんて」という批判があった。まぁ何しても絶対批判されるわけです、抗議自体が許せないわけであって。ちなみにこれに便乗して略奪とかしてる人はもちろん最悪です。

暴力を正当化するつもりは1ミリもないけど、「あの警官の暴力も許されないし、デモの暴力も許されない」って言葉。警官服着て銃を腰に持ってる人が武装してない人の上に使う暴力と、お金も地位もなく生命の危機から脱するために使わざるを得ない暴力は、私は違うと思う。どちらもダメだけど、同じではない。

自分がお金も社会的地位もなく、教育を受ける機会にも恵まれてこなくて本当に困窮した時に高尚な対話とかできるなんてできるかなって思う。っていうか対話にならないから。対話は対等な人同士がやるもの

⑤白人でも黒人でもアメリカ人でもない人たちがゲームチェンジャーになる

ぶっちゃけ、今回の件、どう感じますか?興味持ちづらい、という方もいるでしょう。無言を貫く、も個人の自由です。ただそれが結局誰を利するのかは、ちゃんとわかってる必要は最低限ある。不当な不均衡がある場合に、強者と弱者のからの中間地点に立つことは「中立」ではないのだと私は常々思います。いじめや差別が起きた時、「私は中立です」って何もしない、ましてされる側に身の振り方をアドバイスするのって、自分は差別と戦わないことの表明であって加担してるのと同じ

自分は白人でも黒人でもないし、アフリカと関わってるわけでもないし、アメリカの問題だし、と思っている人も多いかもしれない。特に日本では。でも、今回世界を変えられるのは、外にいる人たちだと思う。というか当事者がどんなに頑張っても勝てないのが差別の構造だから。利害関係なんてなくても、隣で私たちは何をすべきか、少なくとも考えられる人でありたい。

(念のため話を広げない程度に補足だけど、これって日本人にも利害関係が間接的にはある話で、例えばアフリカ系アメリカ人に人権ないって思ってるような人は、もちろんアジア人の人権だって自分らと同等にあると思ってない。アジア人はこの構造の中では、残念ながら差別される側。それも知らずに今回便乗して「黒人はアフリカに帰れ!」とか言ってる人…

もう一つ別の観点だけどカッコ書きの中で続けると、今はアメリカという資本主義の頂点に君臨し続けてきた国が一大局面を迎えている訳で、そういう意味で無関係じゃない国なんて世界でほぼないし、いわんや日本の立場をや)

少し話は逸れるけど、普段アフリカをビジネスで利用しているのに、BLMについて黙っているなんて、と言う議論をアフリカに関わる日本人の間で見た。心情的にはとても理解できる。ただ、今回アフリカ系アメリカ人とアフリカにいる各国の人を全部括るのはあまりピンとこない。(追記に詳述)とにかくここで言いたいのは、やっぱり利害関係なんかなくても、自分を利する利さないに関わらず、動ける人でありたいということ。

ちょっと違うけど、94年にルワンダで虐殺が起きた時、世界は知りながらも「「怖いね」って言いながらディナーを続けて」いた。どの組織にも利用する意図はあっても助けるメリットなかったから。でも個人が発信できてそれが力になる時代になった。なので私は #blacklivesmatter  を表明します。

外の世界が自分の手の中のスマホでリアルタイムで見れる時代。それでも考えない、動かないって、何のためのテクノロジーだよって思う。

ちなみにここに書いていることは全て自戒を込めていて、私も普段の暮らしの中で無意識にしてしまっていることも多々ある。私から滲み出たものを息子が踏襲しているのを見て気付いたりもする。。

まぁ色々書いたけど、シンプルに、例えば丸腰の自分が銃持った巨漢に殴られてたら、周りにいる人に助けて欲しいって思う。

⑥BLM表明のその先

で、BLM表明してるのはわかったから、で?と思った方。そうですよね。私もそこをずっと考えてます。

これは相当長くなる戦いで、人種差別の戦いの後には、人種格差との戦いがある。人種差別を否定しながら、世界はみな人種格差の中に暮らしている。例えば私の経営するアジアンキッチンでは、一番安いチャーハンでも、皿洗いのスタッフが8時間働いてもらえる日当の倍します。私の生活は、私が東京で一日で稼いでたお金が月給として支払われるナニーさんのおかげで成り立っています。ひどいって言われるかもしれないけど、でもこれが資本主義で、先進国の便利な暮らしは途上国の安い労働力なしには成り立たない。実感する機会少ないかもしれないけど。

BLMと経済格差問題はセットなので、BLMが仮に落ち着いても、貧困問題がなくならない限りは、永遠に何らかの形で問題が噴出する。

表明と同時に自分ができること、目の前のことをやっていくしかないのかな思いつつ、現行のシステムでパラダイムシフトが起こらないと無理なのでは(例えば資本主義が破綻するとかそのレベル)、そしてそれは誤解を恐れずに言うと、先進国にとっては脅威である、ということと、色々考えていますが、まだまとまりません。俯瞰しつつ、目の前では、自分がルワンダでできることを、自分の手と足を使って、粛々とやって行こうと思う。

まとまってないけど、でもこれが今回のBLMだとも思う。選挙も控え、政治家はもちろんこの議論をどうイデオロギーに、どう票に流し込んでいくかは考えているだろうけど、自発的に立ち上がった民衆から発せられるBLMを突き動かしているものは戦略や着地点ではなく、怒りだと思う。でもそれでいいと思う。で、この際別に差別とか興味なくても、海の向こうで何が起きているか手の中で映像で見れる時代なんだから、想像力働かせてみることは大事だと思う。というか取り残されると思う。私は、結局はこの想像力が大きな力になると信じてます。人間なんてみんな立場違う中で一緒に生きていくしかないんだから、だったら相手のことを想像できた方が、自分を楽にするよと思います。

まとまりきらないけど、これが2020年6月に私が考えていることです。読んで下さってありがとうございます。

追記:⑦ルワンダとBLM

ルワンダに住んでいるなりにこちらに触れてみます。まず、「アフリカでもきっと憤りはいかばかりか」と想像されるかもしれないけど、それこそ肌の色が物理的に一緒な以外はそもそも立場が全く違って、「先代が奴隷として連れてこられた過去から続く構造的な差別に、自国において苦しんでいる状況」が想像できない、なので簡単に「同士」という感覚を抱けずにいる人が大半だと思う。私の感覚だけど。そして、ともすれば「でも我々より暮らしは裕福だよね」と言うイメージの方が強い人も見かける。例えばルワンダは、産業がなく職がないので、今回の件で迫害を逃れたいアフリカ系アメリカ人を迎え入れたいと思ったところで、そもそもルワンダ人のディアスポラ(外国にいるルワンダ人)すら職がないから戻れない人が多い状況。ガーナなんかは呼びかけているみたいです。国によって様々です。こう言ってしまうと悲しいけれど、正直アフリカ系アメリカ人の方々を憂慮するよりも今日明日の自分の食い扶持の方を気にせざるを得ない状況な人が多いのは確かだと思う。

そういう「同士としての注目」というよりは、実質的に、アメリカに今回の件で革命がもたらされた場合、当然中国との関係が変わり、そうするとアフリカを握っているのは中国なので、そこからの影響の方が大きそうだなと。これは引き続き注視。

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