ターニングポイント②離婚

離婚が成立した頃

あまりこれまで書いたことはありませんでした。やはりお相手のあることなので実名では書きづらい面もあり。別に批判や誹謗を書くつもりは全くないけれど。私は元夫に恨みのような感情はありません。キレイ事に聞こえるかもしれないけど、息子が今ここにいる理由であって、感謝の気持ちしかないです。

なので終始抽象的な話になりますが、同じ立場を経験したことのある女性なら、おそらく何の話かすぐに分かると思います。

離婚の理由

彼は幸せになるために「誰か」が必要だった。その「誰か」の役割を、私は頑張って務めあげようとしたけれど、その「誰か」で埋めようとしているものは、その「誰か」がどんなに頑張ってもきっと埋まらないことに途中で気づきました。そしてそこに自分の人生を使うのはやめてもいいのだ、やめよう、と思い至りました。

私なりに言葉にしてみると、こんな感じ。よく「なんで離婚したの?」と聞かれます。答えるのは結構難しい。事象やきっかけで説明できれば簡単なのだけど。

付き合い始めてから入籍まではとても早かったのですが、違和感を感じてから「別れるということを選択肢に入れていいのだ」と思えるようになるまでにまず一定の期間がかかり、そして別れよう、とようやく決断してからも、婚姻関係がありかつ子どもがいたので、手続きがそれなりにかかりました。

あまりテクニカルなことにはこのエントリでは焦点を当てませんが、期間について参考までに記載すると、調停を起点として、裁判を経て、実際に戸籍に離婚が記されるまでは1年と3ヶ月がかかりました。35歳の今、1年3ヶ月なんて本当にあっという間と言えますが、前回書いたキラキラしていない育休中、超絶激務だった復職後を跨いでおり、当時は本当に長くしんどい期間でした。人生で一番苦しかった時期です。ただし、それなりのお金を使って弁護士をたて、最短で確実にたどり着けたのは確かです。

見過ごし続けた違和感

誰かがどんなに頑張ってもきっと埋まらないのかもしれない、ことに気づくのは早かった。早かったというか、実は結構序盤からなんとなく勘付いてました

ただ、私の悪い癖は、自分が感じたことを、無視することに慣れてしまっていたこと。自分の気持ちにだけ向き合った時に感じる違和感を、なんとなくやり過ごしてしまうことに慣れきっていました

一緒に暮らし始める時、籍を入れる時、子どもをもつと決める時、結婚式を挙げる時、etc…引き返すポイントはたくさんありました。でも、わざと見過ごし続けました。

当然、段階が進めば進むほど、引き返すことはより難しくなっていきます。

ですが私は引き返せない、引き返してはいけない、と思い込み続けて、最終的には「結婚して子どもを産んだのだから、絶対に引き返してはいけない」という、自分的にも、世の中のルール的にも、引き返す難易度がかなり高いところまで来てしまいました。(でも本当は、子どもがいる=離婚しない方がいい、ではないんですよね。私はむしろ子どもがいたからこそできた決断だとも思っています。また別途書きます)

違和感に出会った時、私はいつも「でも私がちょっと我慢すればいい」「きっと私が悪いんだ」「だから私のここを変えれば大丈夫なはずなんだ」と思い続けてきました。

自分の気持ちよりも「ガイドライン」優先

前も書いたように、とにかく私はこれまで「正解」に沿うように生きてきたので、離婚についても、やはり最初はずっとそうでした

相手の言動を分析してみて、「普通」なのかそうではないのか考える。こういう場合に「良妻賢母」としてとるべき対応

そういう情報ばかり探していました。そうして日々をやり過ごし、これでいいのか?うん、きっといいんだ、と自分を納得させる。

啓発本にもよくありますよね。相手を変えるよりも自分が変わりなさい、というもの。それを一生懸命実践していました。でもなんでだろう、ずっとしんどい。おかしいな。こうすればいいはずなのに。自分の何が間違っているんだろう?修行が足りないんだな、もっと頑張らないと。ずっとそう思っていました。なのでこれ系の啓発本は、私みたいに変に真面目なタイプの人にはあまりお勧めできません笑。置かれた場所で咲きなさい、とか。いや、場所は自分で選べた方が絶対いいに決まってる。と今では思ってます。笑

きっかけ

そこから抜け出せたのは、本当にある些細なきっかけからでした。

「あれ…?自分がおかしいわけじゃないのかもしれない。もしかしたら、もしかしたらーだけど。」と思えるような言葉に出会ったのです。

その言葉に出会ってなかったら、きっと全く違う人生を歩んでいたはず。

なので私が発信する根底には、見ず知らずの誰かにとって、もしかしたら小さなきっかけを届けることができるかもしれない、というのがあります。私もそれで救われたので。

照らすのはガイドラインではなく、自分の心

そのきっかけから、「離婚という選択肢を考えてもいいんだ」と気づいた私。気づいてからも、道のりは長かったです。私の中の頑なな「ガイドライン」信奉により、ガイドラインに沿って点数化したときに、10点以上なら離婚してよし、それ以下ならもう少し頑張りましょう、みたいなものをついつい探してしまいがちで。でもそうじゃないということに徐々に気づいてきました。

世の中はガイドラインに溢れているけど、照らすべきはそこではなくて、自分の心なんだってことに。そこから見える世界が大きく変わっていきました

そしてガイドラインに従った決断よりも、follow your heartの方が、選択に自信も責任ももてる。苦しいことがあっても道を照らし続けてくれる。これは今も私を支えてくれている柱です。

まとめ

離婚までの道のりを振り返ってみると、こうして「別れてもいいんだと思えるようになる」までと、「実際に別れる」まで、があると思います。

前者はひたすら自分との対話になり、と言っても、自分を外から眺めてみることが結構キモになり、後者は情報収集や経済面・親の協力などで進め方が違ってくるところです。特に後者はかなりテクニカルなナレッジがたまっているので、それでどこかで世に貢献できたらと思っています。

今日お伝えしたいことは、自分の違和感を見過ごす癖をつけないで、自分の気持ちにふたをし続けると本当に見えなくなるよ、見えていても体が動かなくなるよ、ということ。そして、ガイドラインを求め続けてもそこに本当の答えはないんだよ、ということです。

私自身、本当にふとした「言葉」で自分を外から眺めて、それをきっかけに凝り固まった思い込みからの解放のプロセスを辿らせてくれたように、なんだか今「あれ?こうすればいいはずなのにおかしいな?」「私って幸せなのかな?きっと幸せだよね?」って毎日行ったり来たりしている人に、何かヒントがあれば嬉しいです。読んでくださってありがとうございます。

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